思い出

尾藤監督がお亡くなりになりました。

謹んでご冥福を祈りします。

思えば、1970年春、当時小学4年生、野球子だった私は父に何度か連れられ甲子園に行きました。

特に決勝戦、北陽戦はよく覚えてます。1回表に簡単に2点取られ、勝負は決まったかと、また、延長で点を取られ、もうダメかと思いました。しかし、同点、逆転。。。。優勝 これが箕島神話、ミラクルの始まり、原点かなと自分なりに思ったりします。

西宮駅について甲子園に向かって歩いている途中「アルプス席は売り切れました」とのアナウンス。子供心に、もう見えないと思ったら、外野席が空いており、この時はじめて外野席は無料ということを知りました。

大阪からの帰りの電車(ディーゼル車)の中は、みんな、地元民同志、慶びを共有し祝福気分でお酒を飲み交わし、ごったがえしてたように思います。

当時有田市に住んでいた私は、箕島駅からの帰り道、タクシーもなく父の背中を追いながら夜道を歩いて帰りました。電車の中で酒を飲み過ぎた父は途中何度も、吐いてました。父はこの年の春の大会の箕島戦は甲子園へ全試合見に行ってました。前年の近畿大会の準決勝、決勝も藤井寺球場まで行きました。

父とはキャッチボールもしてもらったことはないですが、このような形で箕島野球の思い出があります。