国道が開通してその翌々年、由良は赤いパニックに襲われた。赤痢の大流行である。昭和四十二年(一九六七年)五月十八日、由良小学校児童八名、熱患者となり欠席したのが始まりで、赤痢はみるみる広がって最高の六月八日には、九三九名が隔離された。全人口の一割近くが保菌者という最悪の事態におち入った。発生以来、保菌者退院の六月二十九日まで要した費用七千四百九十五万円、由良町はじまって以来の赤痢禍に巻きこまれた大事件だった。
恐怖の赤痢も忘れて十年目、昭和五十二年六月二日頃、有田市で発生したコレラが由良に飛火、真性患者一名、保菌者二名を出し、町は一瞬大騒ぎ。このコレラ騒ぎで四億四千万円の被害を出し、相次ぐ伝染病の発生に困惑、とうとうこの年の花火大会が中止になったり、計画していた各種行事も変更、とんだトバッチリを受けたところも多かった。
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